台湾基隆市になぜ岡山県人が住んでいるのか?

私は岡山県倉敷市出身で、2007年3月に岡山を離れ台湾の北東にある港町、基隆市に住んでいます。 台湾でのサラリーマン生活で感じた個人的な感想をブログで書かせていただいています。

Tag:移住

台湾で国際結婚する前に
最近台湾に移住しようとお考えの方が非常に多いと聞きます。なかには僕のように台湾の女性に目がくらみ、そのまま台湾に転がり込むようなケースもあるのではないでしょうか?

そんな日本人男性のあなたに、僕の経験を振り返り、台湾で結婚・子育てをするとどんなことがおこるかご紹介したいと思います。

1.子供を叱るときに言葉に詰まる
日本語で思うがままに叱りたい
日本語だったらきちんと叱れるのに・・・
子供がある程度大きくなると、子供を叱ることが多くなります。

ダメとかいった簡単な日本語ならいいのですが、教え諭す場合、日本語で諭しても子供はなかなか理解できないと思います。

結局中国語になりますが、自分がうまく説明できないもどかしさに無性に腹がたちます。

ましてや自分の息子が遊んでいて、よその台湾人の子供とトラブルになったりすると、仲裁には高度な中国語が求められます。

子供が公園とかで他の知らない子供と遊んでいると、少し気が気でなりません。

2.きちんとした日本語を話さないとまねをされる
子供はすぐまねをする
子供はすぐに親の真似をするから気が抜けない
いつも子供に日本語を話していると、いつの間にか子供も少しずつ日本語を覚えていきます。

僕がこんなに中国語が四苦八苦なのに、耳だけで日本語を習得していく子供の能力には非常に驚かされます。

しかし問題は子供が日本語を習得する見本はどうしても日本人である父親になるので、下手なことを話すとすぐ真似をされます。

僕が一番びっくりしたのは、早くいっしょに外に遊びにいきたい息子に突然次のように言われたことです。

「パパ、テレビ消せぇ!電気消せぇ!早くせぇ!」

これらは僕が毎朝学校に行く息子に言っている言葉です。当然息子にはニュアンスなど全然わからず、ただ意味だけ理解していたのだと思われます。

子供と日本語で話すときは、注意深く言葉を選んで正しく話をしないとすべてコピーされます。

3.子供
が正しく話しているのかわからない 
自分の聞き取りに問題があるのか?
自分の聞き取りに問題があるのか、子供の表現能力に問題があるのか
3歳をこえると子供の中国語は飛躍的にうまくなり、いつの間にか父親の中国語能力を超えて行きます。

父親として子供との会話を大切にしたいので、大学のリスニングの授業なみに全身全霊で子供の言葉に耳を傾けます。

しかし 時に子供が言っていることがわからないことがあります。そこで悲しんではいけません。実は小さい子供だけに案外でたらめなことをいっているケースも多いのです。

台湾人の嫁も子供の話を聞いて「それはどういう 意味?」なんてしょっちゅう言っています。

ただ自分の聞き取りが劣っているのか、息子の表現力に問題があるのかの線引きが非常にむずかしいところです。 

4.子供の病状を伝えるのが大変
いい間違いは命取り
中国語で子供の症状を伝えるのは、中国語に自信がないせいか
なかなか緊張します
子供が病院にかかるときは、医者に正確に症状を伝えなければ大変なことになります。医者からの質問も正しく理解しなければなりません。

僕の場合、あまりの会話のぎこちなさに心配したのか、息子が自分で医者に受け答えすることもありました。

また結婚式に参加中、息子ののどに食べ物がひっかかって大変なことがありました。

ちょうど嫁が席をはずしていたため、僕が周囲に中国語で状況を伝えましたが理解されず、かなりうろたえてしまいました。

5.学校の状況を理解するのが大変
学校の状況は台湾人の嫁に任せたほうがよいかも
台湾では父親の日本での幼稚園経験は役に立たない
息子はすでに幼稚園に通っていますが、教材をみてびっくり。35年前に僕が日本で通っていた状況とは大違い。

ごく普通のそこら辺の現地学校に通っていますが、英語からそろばん、そして台湾語まで勉強しています。

また僕が中学校で見たような漢詩までそらんじているのには驚きました。

さらに台湾の発音記号であるポポモホの勉強も始まっていて、僕にはまったくわかりません。

やはり学校関係は台湾人の嫁に任せるしかないようです。

6.子供の名前をどうするか?
自分の日本の苗字を継がせたい
台湾にいようと子供には日本の苗字を継がせたい
親と同じ日本の苗字をつけたいところですが、台湾では、台湾にはない苗字はつけられないようです。

僕の苗字「朝倉」でも役所で揉めて、姓を「朝」とすることで決着しました。台湾では「朝」という苗字はあるようです。

嫁の姓を名乗るという方法もありますが、僕は日本の名前を忘れてしまうのではないかと思い止めました。

かといって一見して日本人とわかる名前も異国では危険なのかと悩むところです。

7.日本を正しく教えることができるのはあなただけ
 
子供に日本を伝えるのはあなたの任務
子供に日本を伝えるのはあなたの任務
台湾に生活していると、日本の情報がたくさん出回っているので全く日本から断絶している気はおきません。

日本に行った事がある台湾人も多く、みなさん日本のことをよく知っています。

ただ子供の立場で考えると、1年のうちほとんどを台湾で過ごしているので本当の日本を実感する機会はありません。

子供は日本名で通しているだけに、いつの日か周りから「日本人なのに・・・」とギャップを指摘され悩むことがでてくるでしょう。

日本語は当然のこと、日本の生活習慣、考え方、常識というあたりを教えるのは、さすがに日本滞在が少ない台湾人の嫁に任せることはできません。

こればかりは子供が知らず知らずに台湾で習得するには無理があります。正しい日本を子供に伝えるのは日本人である私たちの役割です。

トイレにひらがな50音表と、九九、そして日本地図を貼るところからはじめてみましょう。 

何はともあれ、親子の絆を固くするためにもコミュニケーションは不可欠です。自分自身の中国語をスキルアップするとともに、こどもにもしっかり日本語を教えましょう。

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中国語のニーズはまだまだ増えているようです。なんと語学求人の3割が中国語だという話もあります。

現地で留学して中国語を勉強したいという方の中には、中国と台湾どちらが学習する環境が良いのだろうと悩んでいる人もいるはず。

僕は中国南京市で1年間語学留学したことがあるのですが(ただし19年前の1995年)、やはりこれから中国語をがんばろうと思っている方には台湾の方がよいかと感じます。
 
生活環境や対日感情を考えると台湾の方が安心して勉強できるからです。

僕も日本や中国で中国語を勉強していたものの、台湾に来る前にすっかりリセットされた状況に近いレベルまで落ちていたため、台湾でまた一から勉強でした。現在もまだまだ勉強中です。

台湾で中国語で話をするときに、「中国のときとは違うなぁ」と感じたエピソードを3つ紹介させていただきます。

1.中国語が聞き取りやすい代わりにすぐに日本人とばれる
台湾で話す中国語(標準語)は中国の中国語よりとても聞き取りやすいと感じます。なぜなら中国の中国語にはつきものの巻き舌がないからです。
 
また台湾北部に住んでいるせいか、なまりのある中国語を話す人に出くわすことがほとんどありません。
(台湾中南部は台湾語の世界なので、また状況が異なるかもしれません)

これは中国語ビギナーには習った中国語を試す非常によい環境です。

しかし逆に外国語なまりの中国語はすぐ見抜かれるのか、「お前台湾人ではないだろう?」と見抜かれることが中国にいるときより多いように感じます。

中国にいるとき、僕の中国語は今よりさらにさらに下手くそでした。それでも日本人と見抜かれることは比較的少なかったです。
 
中国の南方(広東省とか)の人とか、香港人と思われることが多かったように覚えています。
 
中国は人口が多くいろいろな方言が存在するため、19年前の当時はまさか日本人が南京まできて中国語を話しているとは思われなかったのでしょう。

2.伝わらなかったときの「はぁ?!」が厳しい
ありがたいことに、日本人とわかると台湾の方はあたたかく接してくれる場合が多いです。
 
しかしその前の段階、つまりまだ日本人とわからず、こっちの言いたいことがうまく伝わらないときの台湾人の態度に非常に困惑することがあります。

「はぁ?!」(語尾を上げて短く強め 中国語の声調では第2声)
 
始めこのような経験をするのは極端に発音が悪い僕だけかと思っていたのですが、聞けば台湾に住む他の日本人もこの台湾人が発する「はぁ?!」に戸惑っているようです。

この「はぁ?!」を日本で使うときは、相手の言葉に反感、怒りを感じているときにやや喧嘩(けんか)腰になって発せられます。

普段はとても親切でやさしいと感じる台湾人だけに、会話中突然聞く「はぁ?!」には正直なところ心がえぐられる感じがします。

中国にいるときも「はぁ?!」と言われたことはありましたが、特に気になりませんでした。
 
なぜなら当時は目の前にある商品を買おうとしても「没有(めいよー)」とか言われたり、列も割り込みが普通にあったりと何事もサバイバルだったので、そんな「はぁ?!」ごときでくじけたりしなかったからです。

台湾人に聞くと、この「はぁ?!」は普通のことのようで特に怒っているわけではないようです。

しかし今でもこの「はぁ?!」に遭うと、チキンハートの僕は中国語に自信をなくし、何も話したくなくなります。

3.繁体字がなかなか書けない
中国語の漢字には簡体字と繁体字があります。

要は当時難しい文字すら書けない人が多かった中国が、繁体字を崩して簡体な文字にして自国民に教えたのが簡体字です。
 
あまりに崩しすぎたので台湾人も日本人も見ても原型がどんな漢字すらわからないケースが多いです。

繁体字なら日本人はどの漢字に該当するのかなんとなくわかるのですが、実際書けといわれるとこれほど難しいことはありません。

ただパソコンなどではピンインで繁体字を入力できる方法もあるため、特に仕事や生活で困るようなことはありません。

しかしこのままではますます繁体字を書いて覚える機会は一生訪れないと思われます。

ぜひあなたも台湾で中国語を勉強を
台湾は日本より温暖ですごしやすく、世界でも有数の親日国です。

交通手段も増え、ますます便利になった今、あなたも台湾で中国語を勉強してみませんか?

台湾への移住を考えているが中国語ができなくてどうしようとお考えの方も、そのまま台湾に飛び込んでも大丈夫だと思います。

日本人全開でつたない中国語を話していたほうが、かえってスムーズに台湾生活が送れると思われますから。

あとはこの台湾人の「はぁ?!」にめげない気合さえあれば大丈夫です。 


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荷物一つで台湾に乗り込んだ7年前
2014年3月14日は僕にとって台湾移住7年という節目の日です。

7年前トランク一つで桃園空港に一人降り立ちました。今思えば男35歳で単身台湾に乗り込むなど世間知らずもいいところでした。

来たころは仕事も生活も苦戦続きで、故郷岡山にいつ帰ろうかと本気で考えた時期もありました。

台湾移住7年を記念して、台湾に来た当初から振り返って感じたことを7つ書いてみようと思います。

1.実はテレビをみなくても生きていけるとわかった
あなたは当然テレビがなくても生きていけますね?
7年前まだ30代だった僕の生活は、恥ずかしながらまだテレビが中心でした。
帰宅するとビール片手にバラエティ番組や野球中継を見ていました。

台湾に来たころは、テレビがリアルタイムで見れなくなることで話題にもついていけなくなるのではないかと少し気がかりでした。

しかし結局インターネットがあることもあり、そんな心配もまったく杞憂に終わりました。

2.日本の芸能界に疎くなった

テレビを見ないせいかそれともそういう年になったからかはわかりませんが、台湾で生活していると日本の芸能事情に全く疎くなりました。

流行のピークを過ぎてから小島よしおの「そんなの関係ねぇ」をテレビで目にした時は、なんだか世の中から置いてけぼりを食った感じがしました。

楽しんごにいたっては、ネットの記事しかみていなかったので、名前の読み方をずっと「らくしんご」と思い込んでいて恥をかきました。

3.インターネットサービスが本当に便利になった
スマホがあれば台湾でも生きていける
7年前すでにインターネットはありふれていましたが、まだまだ今ほどいろいろなサービスはありませんでした。

最近はスマホが普及し、特にLine(ライン)が出てきてからは、国際電話というものが意味がなくなってきた感があります。

今や台湾のどこにいても、ネットで日本の最新情報がわかったり、果てはフェイスブックで日本の友達がどこでご飯を食べたかさえ知ることができたりします。

もはや浦島太郎状態になることはありえません。

4.父母の老化を強く感じる
父母もいつまでも若くない
1年に1回、事情によって2年に1回しか故郷岡山に帰ることができないこともあり、なかなか父母と会う機会がありません。

それだけ期間が開くとどうしても父母の姿を見て「ああ、また老いたなぁ」と強く感じます。あと何回親に会えるのだろうとふと考えることもあります。

5.岡山に帰るのが便利になった
台湾便ができた岡山空港
7年前は中国地方で台湾便が飛んでいるのは広島だけでした。それが昨年(2013年)から岡山便や香川高松便が飛ぶようになりました。

岡山便はまだ季節便で冬は飛んでいませんが、それでも関空経由よりも早く岡山に帰ることができます。

まだ利用する機会はありませんが次回帰省する時は乗ってみようと思います。

6.日本と台湾の結びつきが強くなった
台湾ではたくさん日本人を見かけるようになりました
7年前台湾に移住することになったとき、周りの反応は「台湾ってどこ?台湾って何があるの?」など、まだまだ認知度はありませんでした。

新聞紙面は経済成長を続ける中国のことばかりで、台湾のことが報道されることもあまりありませんでした。

しかしあの東北の大震災で台湾から多額の義捐金が送られたことを契機に、台湾に対する注目度が大幅にアップしたことは皆さんもご存知の話です。

7.祖国日本・故郷岡山県が妙に気になる
やはり故郷岡山県が懐かしい
重苦しい日本、田舎過ぎる岡山県に嫌気がさして飛び出したはずなのに、大地震や不景気、そしてきな臭い国際関係で苦戦の日本、そして高齢の両親が住む岡山県が気になりはじめました。

このブログを書きはじめたのも、もっともっと自分が住む台湾と岡山県の結びつきが深まればと思ったのがきっかけでした。

しかし岡山で育ったにも関わらず、あまりにも岡山を知らないことに気がつきました。

今また岡山県について勉強中です。

台湾に長期滞在の皆さんは?
すでに私より台湾生活が長いベテラン・先輩方も非常に多いと聞きます。皆さんは日ごろどんなことをお感じでしょうか? 


もっと岡山県を知るための参考書籍 
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海外就職は出会いの宝庫
あなたも台湾で意外な出会いがあるかも
日本を離れ、台湾に移住して生活や就職するメリットはいろいろあります。
そのなかでも意外なメリットとして、お仕事を通じて日本では到底お会いする機会がない人と出会えることを強く感じます。

岡山県つながりで台湾で岡山県知事にも会った!
僕は台湾で岡山県人会にいれていただいています。これは岡山県にゆかりのある方々が集う飲み会です。参加者は岡山県出身者、または岡山県に住んでいたことがある、お仕事、留学などで台湾に滞在されている方です。

メンバーは日本でも超有名な会社の現地法人のトップや幹部であったり、台湾で会社を作られた方であったりといずれも立派な方ばかり。

そんななか僕のように台湾に流れてきた現地採用のおっさんでも気軽に話ができたりします。

果てはそのご縁で台湾に岡山県のプロモーションにきた岡山県知事一行とのパーティにも参加でき、当時の石井知事ともお話しをさせていただく機会がありました。

いきなり日系現地法人のトップに営業

台湾で働くメリットとは?
日系会社でも台湾にいる日本人は少ない
また台湾の日系会社は規模が案外小さく、営業やら仕事でお伺いすると、いきなり現地トップである日本の方が出てくるケースもよくあります。

仲良くさせていただいた日本からの駐在さんの中には、帰国したら本社の大幹部になられた方もいらっしゃいます。ただ残念なことにこれら駐在の方が帰国された後、またどこかでお会いできるチャンスはあまりありません。日本のビジネスマンは忙しいので仕方ありません。

2014年もご縁がありますように
台湾にくる日本人観光客は大変多いのですが、台湾在住をしている日本人で形成される日本人社会はまだまだ小さいです。そのぶん意外な出会いなど、普段ではありえないご縁をいただく機会も多いです。

2014年もいろいろな人とご縁があることをお祈りしております。今年こそこれを読んでいただいているあなたにもお会いできるかもしれません。そのときはどうかよろしくお願いいたします。 
台湾で就職をお考えのあなたに


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Googleは12月18日、2013年のGoogle検索ランキングを発表しました。そのなかで、47都道府県の県名と一緒に検索された急上昇キーワードも公開されました。

岩手県では「あまちゃん」が最も関連ワードで検索されたほか、広島は「カープ速報」、東京は「東京オリンピック」、埼玉は「貧乳」、滋賀は「オスプレイ」といったワードが並んだそうです。
ではわが故郷岡山県はどうだったのでしょう?

岡山でも台風関連が上位
2013年、「岡山」と一緒に検索された急上昇キーワードは、1位警報、2位皇太子、3位岡山市長選挙、4位台風情報、5位トミカ博だそうです。

日本全体の「話題のニュース」では「台風」が1位だったこともあり、岡山も他府県同様、台風関連のキーワードが上位でした。やはり住んでいる岡山は大丈夫なのか、明日は会社に行けるのかとみんな心配だったのでしょう。

日本一楽観な岡山県人 異常気象に命の危険までは感じない人が約9割

その一方で昨今世界で続く異常気象で命の危険を感じた人が日本で最も少なかったのが岡山県。88.3%の岡山県人が今年の異常な気象現象でも命の危険を1回も感じていなかったようです。

東日本大震災の発生後、「災害が少ない」との理由で県外から岡山への移住者が急増し、東京では大規模な「定住フェア」なども開催されたと聞きます。岡山県の良さはこうしたところにあるのかもしれません。

岡山にいると岡山の良さがわからない 
僕は平々凡々で田舎くさい岡山県が嫌で高校卒業後すぐに岡山を離れ、今は台湾に住んでいます。高温多湿な台湾でようやく「晴れの国岡山」の良さを知り、震災直後岡山の実家から「岡山は大丈夫よ」との連絡を聞き、いつも平穏な岡山のありがたさを感じました。

きたる2014年も両親が住む岡山県が平々凡々であることを強く願ってなりません。

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