台湾基隆市になぜ岡山県人が住んでいるのか?

私は岡山県倉敷市出身で、2007年3月に岡山を離れ台湾の北東にある港町、基隆市に住んでいます。 台湾でのサラリーマン生活で感じた個人的な感想をブログで書かせていただいています。

Tag:バックパッカー

台北にいるとガイドブックをもって道に迷っている外国人をよく見かけます。日本を筆頭に韓国や香港の人もお見受けします。

最近台北でもバックパッカーでも利用できる格安ホテルが急増、台湾を結ぶ格安航空券も出回っており、今後自由旅行はどんどん増え、道に迷う外国人も多々出現すると思われます。

同志、景山公園はどこだ?
僕も1990年代初頭、中国を歩き回るバックパッカーの端くれでした。
片手にぼろぼろになった地球の歩き方を片手に、へたくそな中国語を中国の地方出身者なんだと偽って中国人の群集に紛れ込んで旅を続けていました。

初めて北京を訪れたときです。景山公園近くでいきなり見知らぬおやじに近くから大声で尋ねられました。

同志、景山公園在哪兒 ? (同志 景山公園はどこだ?)

まさに当時学校で勉強していたテキストの例文のまんま。

しかもこの「同志」という社会主義国でかつて人の呼びかけに使われていた言葉は、改革開放がすすんでいた当時都市部ではほとんど使われることはなくなったと聞いていました。

そんな「同志」という言葉をリアルに聞くことができた僕は大興奮。

これが台北の228公園あたりで「同志(同性愛者同士の呼び方)」なんて呼びかけられると、また違った意味で興奮をするかもしれません。

氾濫する親切な台湾人のニュース
最近台湾に旅行にきた日本人が、旅行中に台湾人に親切に道を教えてもらったとか、旅行中の困難を助
けてもらったとかいった報道をよく目にします。

しかしこれは何も最近始まったわけではありません。1996年に初めて台湾に来たとき、僕はすでに親切な台湾人に道を教えてもらった経験があります。

道に迷っていると、くせのある日本語で「どうしたんですか?」なんて声をかけられました。

中国では日本語で話しかけられるとだまされる可能性が高いときいていたので、このときもきっぱり無視を決め込んでいました。

しかしあまりにしつこく日本語で声をかけられるので、ふと顔を向けたところ普通のおじいさんが心配そうに見ていました。

結局そのおじいさんにいろいろ親身に道をおしえていただきました。今考えればなんと失礼な僕でした。

日本人旅行者に道を尋ねられたらどうする?
最近梅雨空の台北の朝、あわただしく出勤中、はずれの路地で20代くらいの日本人男性に道を尋ねられました。

いきなり「Excuse me」ときたから、多分僕を台湾人と思っていたようです。男性はプリンターで印字した紙切れをもっていて、どうも台北駅西側にあるバスターミナルにいきたいようです。

らしい・・というのはなぜかというと、日本語で僕がその旨確認したのですが、なぜかその受け答えから僕を日本語ができる台湾人とまだ思い込んでいるようでした。

別に自分が日本人だと名乗る必要もなく、そのまま行き方を説明すればいいのですが、いかんせん、今いる場所からバスターミナルまでの道のりを説明するのが非常に難しいのです。

そのときは急いでいたので悠長に説明することもできません。とりあえず台北駅までの行き方だけお話しをして、台北駅についたらそこで他の人に聞いてください、とだけ答えて別れてしまいました。

今思えば迂闊でした。

これではこの僕を台湾人と勘違いしている日本人が「台湾人はそんなに親切ではない」と誤解するのではないか?

やはりこういった場合、はっきりと「僕、日本人ですけど・・・」と先に断りをいれておくか、台湾人で通すなら、せめて相手がわかろうとわかるまいと全ての行き方をひととおり教えるべきだった・・・。

会社への道を急ぎながら、そんな後悔をしておりました。あなたならどうしますか?


2回目の台湾旅行のお供に


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あなたと台湾人との最初の出会いはなんだったでしょうか?

東北大震災の義捐金の件から、日本と台湾の結びつきがぐっと強くなり、台湾を意識するようになった人が非常に多くなったと聞いています。

僕が台湾人を意識したのは今から20年前、中国ででした。

当時学生だった僕は、バックパッカーの端くれで、大きなバックを担いで中国を回っていました。

中国では電車の切符を買うのが非常に大変。とことんケチる旅行をしていた僕は、どうしても中国人との切符争奪戦に参加せざるをえませんでした。

駅で長い列に並び、度重なる横入りや、周りの大きな音を立てて痰を吐く音に耐え、なんとか窓口にたどりついても無愛想な駅員に「没有(ない)」と怒鳴られるなど、大変な思いを繰り返していました。

ただ大きい都市の駅だと外国人専用窓口が設けられ、他の中国人とは別に切符を購入できました。

あるとき上海で切符を買おうとしたのですが、あまりの中国人の多さにうんざりして、外国人専用窓口に行きました。それでも上海ということもあり、外国人専用窓口でも長い列ができていました。

列に並んでいると、突然後ろの人の足が僕の足に軽く当たりました。人が多い中国では余り気にすることではないので、特にどうとは思わなかったのですが、意外にも後ろの方から「対不起(すいません)」という中国語が聞こえてきました。

「対不起(すいません)」は、日本の中国語テキストで早くから学ぶフレーズにもかかわらず、当時中国でほとんど聞いたことがありませんでした。

逆に一番聞くフレーズは、「没有(ない)」で、一番話すフレーズは「不要(いらない)」だったと記憶しています。

店に行って目の前にある商品を買おうと店員に声をかけても、「没有(ない)」。
長い列を並んでも結局言われる言葉は、「没有(ない)」。
ホテルにチェックインしようと部屋があるか聞くといつも、「没有(ない)」。
日本人と知ってか「あれ買え、これ買え」としつこい物売りにいつも言っていた、「不要(いらない)」。
あと、何を聞いても「不知道(知らない)」もよく聞きました。

日々中国人との戦いに疲れていたときにフト聞いたこの「対不起(すいません)」のフレーズは、なんとも言えず新鮮さを感じ思わず振り返ってみたとき、目に入ったのがその人の持つ「中華民国(台湾)」パスポートでした。

同じ中華民族でも違うんだ!それが僕の初めての台湾体験でした。

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